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2018年5月 2日 (水)

スペイン坂(渋谷)

これも新しい坂である。 いつごろからスペイン坂と呼ばれるようになったのだろうと記憶をたどってみる。 上京して渋谷を歩くようになった昭和51年頃にはもうそう呼んでいた記憶がある。 渋谷区の情報を見てみると、昭和50年に付けられた坂名だそうだ。

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渋谷区のHPには以下のように書かれている。

喫茶「阿羅比花(あらびか)」の店主、内田裕夫氏は、写真で見たスペインの風景に心ひかれ、店の内装 をスペイン風に統一していました。昭和50年にパルコからこの坂の命名を依頼されたときには、迷わずこの名をつけたそうです。命名後、近所の人たちも協力して、建物を南欧風にしました。

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記憶では「スペイン坂スタジオ」にいつも人だかりができていた。 1993年にパルコとFM東京が共同で街の一角に設置したスタジオで、2016年まで使われていたが、パルコの建て替えと共に閉鎖した。

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さらに時代を遡ると、スペイン坂自体は明治時代からある道である。 渋谷川支流の宇田川が削った崖線の坂道。 昔の宇田川はスペイン坂下、今の宇田川交番の傍には水車があった。 明治の終わりから大正にかけてこの辺りの開発が進みなくなってしまった。 そんな渋谷を現代の誰が想像できるだろう。

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スペイン坂の1本西にある坂道もいい味を出している。 通称道路の名前は「ペンギン通り」というらしい。 別名愛山通りともいうのは、この通りの脇にごみに囲まれて、「山路愛山終えんの地」の標柱が立っている。終焉ではなく終えんと書いたのは、街に合わせたのだろうか。 ペンギンの由来については区のHPにもあるが、訝しいのでノーコメント。

明治時代までは松涛から流れてきた沢が今の東急本店の下を流下し、吉本ホールのところで宇田川と合流していた。 その頃の渋谷を見られるものなら見てみたい。

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