相生二番坂(中野坂上)
環状六号線山手通りが開通したのは戦後になってからだが、青梅街道と甲州街道の間だけは戦前に開通していた。 それ以前は神田川が南北の往来を制限していたのである。 大正時代以前に神田川流域から、青梅街道方面へ上る道のひとつがこの道で、かなり古い道である。
もちろん現代の道路基準である幅員4mに満たない。 古い道というのは得てしてそういうもので、法律はつい最近できたばかりでこの道を否定することはできないのである。「4mに達しませんが、歴史に敬意を表して道路とお認めします」という感じである。
坂の途中にある整備された公園は古い公園だったが、近年きれいになり、子供たちの声も響いている。 中野区では通称道路名を明記しているところがいくつもある。 相生一番坂通り、相生二番坂通りは昭和63年に設定された通称道路名である。 良いことだと思う。 道路や広場は人の集まるところであるから、名前があると人々のコミュニケーションにはとても役に立つ。
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