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2018年5月19日 (土)

切通しの坂(代々木)

余談だが代々木は渋谷区である。 本来は新宿駅南口の甲州街道が新宿区と渋谷区の区境なのだが、最近できたNewomanは新宿区になっている。 線路の上の甲州街道南側は新しく人工地盤というものを構築して空中に土地を作り上げたので、そういう住所区割りになったようだ。 新宿区も渋谷区も固定資産税を確保したいので、裏ではバトルがあったのではないかと想像した。 ちなみに新宿御苑は北半分が新宿区で南半分が渋谷区である。

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代々木駅の西側、といってもほとんど小田急線の参宮橋駅に近い「春の小川」の河骨川源頭、そのやや南側にこの切通しの坂がある。 100mほど北には河骨川源頭のそばの刀剣博物館が2018年1月にリオープンした。 その河骨川が削った谷に下って上る代々木側が切通しの坂である。

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坂上の首都高脇の立正寺前に黒御影石の坂名の石塔がある。 また少し下ったところには区の立てた標柱に次のように書かれている。

「岸田劉正が描いた切通しの坂
 画家岸田劉正は、大正3年(1914)から 5年(1916)にかけて代々木に住んでいたので、このあたりを描写した作品がたくさんあります。そのうちの一点に、名作「切り通しの写生」(重要文化財)があり、大正4年(1915)に発表しました。」

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この坂より北側は公爵山内豊景(旧土佐藩)のお屋敷で、その庭には大きな池があり湧水が滾々と湧いていたという。それが河骨川になってこの切通しの坂の下から現在の小田急線沿いに流れていた。

岸田劉生が描いたようにこの坂は赤土の坂で、雨のあとや雪の日は多くの通行人が転倒しただろう。 当時の代々木公園は演習地でその北のはずれにあるこの辺りはつい100年前には赤土の荒れ野原だったことを想像するのに、岸田の絵はとても助けになった。

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