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2018年5月31日 (木)

ゆうれい坂(東中野)

東中野駅は駅に沿って脇の道が下り坂。 線路面を1階とすると西口は2階が出口になる。 ところが東口はほぼ線路面になる。 しかし東口を利用する人は階段を使って地下1階から上ってくる。 ホームの東端の先はがーとになっていて道路が下をくぐっているのだ。 東西の高低差は15m近くある。

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その地形を作ったのは神田川。 しかし不思議なのは幽霊坂の頂点から北側の東中野5丁目にあたる地域がまるで山のように高いのである。 幽霊坂の道は少し低い西側からいったん坂を上り、丘を越えて神田川側に下ってくる。 下の写真は、反対側の入口である。そしてこの坂に並ぶ路地は押しなべて名坂である。じっくりと全部回ってみたいものだ。

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こういう形の坂はよく鍋割坂と呼ばれる。 しかしここはゆうれい坂。 どうもその名が付いた理由が分からない。 飯田橋の庾嶺坂(別名幽霊坂)の場合は、梅の花がきれいな場所を中国(唐)の故事に習って「ユレイ」と呼んだのが由来だった。その他の多くの幽霊坂は武家屋敷周りで樹木が生い茂って暗い場所であることが多い。

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ここの場合は飯田橋の庾嶺坂と同じだと思いたい。 中野は梅園を代表するように梅の花見の名所だった。 ここは少し離れているとはいえ、神田川脇の丘の上、遠くまで見渡せる丘だったので、昔の人が梅を植えて楽しんだ可能性は高い。 そう推定して、資料を探してみた。

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明治の地図を見ると、この坂から北側が華州園という広い庭になっている。 この台地の名前は小滝台といい、江戸時代は農村、大正時代は相撲界の力士の屋敷街だったという。そして華州園というのは今も一部に存在している。明治から大正にかけてここは四季折々の各種花々が咲き、東京市中に出荷される花園だったのである。 ここのゆうれい坂の由来は、おそらくは庾嶺坂と同じものであろう。

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