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2018年5月11日 (金)

衆楽坂(恵比寿)

昭和30年代の土地区画整理事業で恵比寿や代官山の地名は大きく変更になった。以前の衆楽町、長谷戸町、代官山町、丹後町、田毎町、公会堂通りの6町の全部、または一部が恵比寿西2丁目になった。 しかし意外と地元のお年寄りは旧町名で呼ぶことが多いし、町会も昔の区割りのままの場合が多い。やはり、町の単位というのは大きすぎてはいけない。 都会であってもそこそこの小さな単位が必要なのだと思う。

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代官山坂から東横線を谷底のやや東側で横切り、そこから8mほど上って再び下る。 その下り坂が衆楽坂である。 もちろん由来は衆楽町という町名だが、衆楽の由来が分からない。 衆楽町という名前は地図を見る限りでは、関東大震災以降の名前らしく、それ以前は代官山の傾斜地で人もほとんど住まない場所だったので、地名は不要だったのだろう。

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恵比寿とか代官山のように、平成になってから人気の出た街にあやかって、マンションやビル名にその名前を付けたがる不動産オーナーが多い。 集落坂周辺はほとんど代官山が付いている。 ビル名・マンション名の規制は何とかならないものかと思うが、経済を優先すると大切なものを失うことがある。代官山と付けるだけで家賃を1割増しできるとか、そういう類のせこい話が多いのだろう。  お役所にはもっと長い目で地域を見てもらえるようになるとありがたい。 もっとも明治時代はここは代官山だったと言われればそれまでだが。

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この衆楽坂の坂下には7坪程度の場所に5基の庚申塔と1基の馬頭観音が保存されている。  作られた年代は1664年、1668年、1674年、1676年と古く、下澁谷村の村名も彫られている。 残りの1基は明治のもので、馬頭観音と並べて道路側に立てられている。 散歩をしていると、各地の庚申塔やお地蔵様に年配の方がお参りして、掃除をしたり、花や供え物をしているのに出遭うことがある。 日本人の心の琴線に触れるものがある。 そういうお年寄りを見ていると、涙が出そうになることがあるのだ。 自分たちはこれを失ってはいけないという思いが湧いてくる。

 

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