犬坂(中野坂上)
中野坂上の北西、宝仙寺裏を北へクランクしながら下る坂道が犬坂。 宝仙寺と宝仙学園中学、高校の間を抜ける。 宝仙寺の竹垣が美しい。 クランクの仕方も窮屈でなく、退屈でなくちょうどいい。 坂を下った先には梅園川の暗渠がある。 犬坂の道が梅園川を渡るのが宝仙橋。
宝仙寺の裏手はもと杉林で、ここを上る道は野良道だった。大正時代以前の地図には道は描かれておらず、宝仙寺の裏で西に折れた道はそのまままっすぐ金剛橋を渡る古くからの道に接続していた。 坂下はすぐに梅園川でその北側に田んぼが広がっていた。
犬坂という坂名の由来は、一説には中野のお犬様の保護施設に因むというのがあるが、場所が違いすぎる。 中野区の調査によると、江戸時代に将軍が鷹狩りに出た際に、猟犬がが野犬に襲われることがあり、宝仙寺に勢子を置いて、野犬狩りをし、この坂下あたりに野良犬を拘束していたという。 そうであればうなずける。
宝仙寺は大きな寺である。昔は山手通りの東側の飛地にあった三重塔が空襲で焼失してしまった。それとほぼ同じ大きさの三重塔が平成4年に再建された。 隣には、珍しい石臼塚がある。 神田川には昔から水車がいくつもあり、そば粉を挽くのに使われていた。 江戸っ子が蕎麦を大量に消費するようになって、玄蕎麦がここ中野に集まるようになり、中野から江戸中の蕎麦屋に供給された。
その後機械化が進み、石臼は水車と共に見捨てられていった。それを見た僧侶が、ここに石臼の供養をはじめ、それが積み重なって石臼塚になった。 その僧侶が宝仙学園の創始者だと説明板には書かれていた。
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