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2018年5月 1日 (火)

オルガン坂(渋谷)

東急ハンズ渋谷店の西側の道路は井の頭通りの神南小学校下からいきなりの坂になっている。 この坂をオルガン坂と呼ぶ。 車道と歩道(路地)が二段になっているのが特徴で、そこにはモンベル渋谷店がある。 渋谷は店舗やテナントの変化が多いので、あると書いて数年するとなくなっていることが多い。 しかし東急ハンズ渋谷店は1978年の開店から40年頑張っている。 ここが3号店で、1号は藤沢、2号は二子玉川だったが、どちらもすでに消えた。 渋谷ハンズのひとつの階が三段になっている構造はユニークで面白い。

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オルガン坂の名前の由来は渋谷区のHPによると、通りの周辺に音楽関係の店が多かったところから付いた、あるいは東急ハンズ前の階段がオルガンの鍵盤に見えたからという説を挙げているが、ちょっと訝しい。

この坂を作り出したのは宇田川(渋谷川の支流)である。井の頭通りの裏手に暗渠の通りがある。 上流へ進み、代々木八幡で支流の河骨川に分離、河骨川は「春の小川」の唱歌で有名だが、明治時代まではこの渋谷の真ん中あたりでも蛍が飛んでいた。 「ホタルの住む渋谷」なんてCMがあるが、もともと住んでいたのだからクリエイターの認識が不足している。正しくは「ホタルの復活した渋谷」である。

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何しろ井の頭通りから松涛側は1900年頃は田んぼが広がっていたのである。 渋谷と言えば当時は道玄坂から宮益坂が町で、現在のハンズの西側の田んぼの先には鍋島農場という農場が広がっていた。 渋谷区松濤(住宅地地価日本一)の町会によると、明治9年に徳川家から佐賀藩の鍋島家がこの辺り一帯を買取り、鍋島家は失業武士の救済目的で「松涛園」という茶園の経営を始めた。 明治後半になって、茶畑は農場に変わり、大正末期から住宅地へ分譲されていったという。

忠犬ハチ公の飼い主である上野英三郎教授がハチ公と住んでいたのが松涛1丁目だった。上野氏は大正14年に亡くなったが、それから9年間ハチ公は渋谷駅で待ち続けたというのが伝わる話。 大正生まれの私の家内の亡父は生まれてからずっと恵比寿育ちで、当時渋谷に遊びに行ってハチ公を見たと言っていた。

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