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2018年5月30日 (水)

十貫坂(中野富士見町)

青梅街道の丸の内線新中野駅の近くに鍋屋横丁という交差点がある。 都電が荻久保まで走っていた時代、鍋屋横丁という停車場があった。大正から昭和にかけて、中野銀座と言われ、青梅街道筋では最も賑やかな場所だった。

しかし鍋屋横丁の歴史はさらに古く、江戸時代に遡る。『東海道中膝栗毛』を書いた十返舎一九が鍋屋横丁のことを書き残している。 江戸時代末期にここに鍋屋という茶屋があった。鍋屋はたいそうな豪商で、広大な梅園も持っており、花見の客で賑わったという。 明治の初期までは花見というと梅が主体で、桜は後になって、特に戦後復興と桜が結びついて爆発的にソメイヨシノが広がったという経過がある。 江戸時代から明治にかけての花見の多くは、実は梅なのである。

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その鍋屋横丁を下り、中野通りを横切ると十貫坂のプレートを貼った街灯がある。 「これより十貫坂 - 十貫坂の由来:付近から十貫文の入った壺が出てきたという説と、中野長者が坂の上から見渡す限りの土地を十貫文で買ったためと記録にあります。」と書かれている。 磯田道史氏原作の映画『殿、利息でござる!』のレートを使うと、十貫文というのは町民の通貨レートで、武士の通貨レートにすると2両となり、現在に換算ずると60万円程度となる。 60万円で見渡す限りの土地が買えるなら、自分も買うぞと言いたくなる。

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坂は緩やかに下っていく。 両側に中層のマンションが迫るが、この道は江戸時代から続く古道である。 微妙なカーブがそれを示している。 もう一つの説、古銭十貫文というと重さで37.5㎏。 しかし10円玉や100円玉で37.5㎏というと大したことはない。 100円玉は4.8gなので、78万円。 中野長者の十貫文と大差ない。

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十貫坂は坂下まで緩やかなカーブの坂道になっている。この坂の傾斜を形成したのは神田川だけではなく、その支流の沢もかかわっている。 昔はこの周辺は湧水も多かったのだろうか、昭和前期以前の地図にはたくさんの池が描かれている。沢の源頭は堀之内の環七沿いにある真盛寺の池のようだ。 この沢は古くに消えた沢だが、暗渠が意外に明確に残っている。

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坂下近くには十貫坂地蔵堂がある。 ここには6基の石塔が保存されている。概ね1692年~1717年の元禄から享保にかけてのものである。周辺にあったものをまとめたと考えられるが、こういうものが大切に保存されている町はいい街である。かつ体の不自由な方にもお参りしやすいようにバリアフリーのスロープになっているところはかなり珍しい。

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