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2018年5月20日 (日)

日陰坂(代々木)

首都高速を走る人はこの坂の場所を4号線上り代々木PAの下と言えばほぼ場所が分かるだろう。  小田急参宮橋駅から首都高速沿いに東へ下り、明治神宮の北参道口にでるのが日陰坂である。 坂名に反して、現在は比較的明るく、かつ騒々しい道になっている。

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何年か前に首都高速下の明治神宮の擁壁が真っ白く塗られてしまってさらに明るくなった。 もとはただのコンクリートの壁だった。 できればもっと神宮らしい擁壁にしてもらいたいと思う。 神宮の森は井伊家の下屋敷跡の御料地であった。明治天皇崩御(1912)後に、荒れ地だったこの広大な土地に神宮の森を作るという壮大なプロジェクトが始まり、本多清六博士らが政府を説得しながら本物の森を作り上げたのは感動すべき実話である。 あの森は100年前は荒れ野原だったのだから。

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日陰坂は江戸時代の道筋とは少し変わっているが、カーブがいじられたくらいである。 江戸時代は坂下に高札場があった。この道は甲州街道に繋がる裏街道で、日陰坂という名も暗い裏道からきたのだろう。国立競技場の傍には幕府の火薬庫があり、それを運搬する荷車はこの坂道を通って甲州街道へと往復していた。坂の南側にある現在の明治神宮の広大な敷地を有した彦根藩井伊家の下屋敷にあったモミの巨木が有名だったので、その老樹から代々木という地名が生まれたという。

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また坂下の北参道と出合うところには、暗渠と川跡がある。 元から渋谷川支流の細い沢があったのを、玉川上水からの原宿村への分水として利用したもので、その護岸跡である。 また日陰坂のカーブの場所は、明治神宮の北池(宝物殿前)から流出した流れが、外の川に合流した場所でもある。 明治神宮が出来たことで、東京は緑の首都になったといっても過言ではない。 大正時代の先見の明のある学者方に感謝である。

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