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2018年5月22日 (火)

中野坂(中野坂上)

淀橋は西新宿の旧町名だが、その淀橋の地名の由来になったのは、青梅街道の神田川に架かる橋名、淀橋に由来する。 好まれない言い伝えの残る「姿見ずの橋」という名を、徳川家光が、ここの景色が淀川を思い出させるので淀橋にせよと命じたので、淀橋になった。 江戸名所図会にも描かれ、神田川に木橋がかかり、人々が往来する様子が見える。 また西側にもう一つの流れもあったことが描かれている。この脇流は昭和の中頃まで存在し、脇流の西側に都電の淀橋停車場があった。

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新宿から西進すると、成子坂を下って淀橋を渡り、そこから再び上っていくのが中野坂である。 江戸時代は淀橋より西は多摩郡で武蔵野の中に入る意味で中野という地名になった。 また当時中野へ行くというと、堀の内の妙法寺へ参ることをいい、帰途の土産に中野坂上で弁慶飴を買ったという。しかし中にはその先で内藤新宿の遊郭に引っ掛かり、つい遊び惚けてしまって弁慶飴が溶けてしまったみたいな逸話も残っていて面白い。

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中野坂上も近年西新宿の先の交通至便の地という理由で随分と開発が進み、高層ビルが立ち並ぶようになったが、まだ路地裏に回ると民家が多く古い道も残っている。 坂の北側にある中本一稲荷神社は神田川の河岸段丘の縁にあり、ビルに隠された地形を主張している。

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中野坂上から少し北に行ったところに中野区第十中学校がある。 この場所は昔、宝仙寺という寺があった場所で、三重塔が建っていた。 この三重塔の珍しいところは、地元の農民が施主となって建てたという点である。 当時貴族や有力武士でないと不可能だった三重塔を建てた農民というのはどんな人たちだったのか知りたいものだが、当の三重塔は残念ながら空襲で焼失してしまった。 現在の宝仙寺は西の方に移転し、学校も併設した大きな寺になっている。

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