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2018年6月 8日 (金)

駒ヶ坂(中野区弥生町)

杉並区との区境近い善福寺川と神田川に挟まれた三角地帯、ここは地形的には二つの川に挟まれた巾着型の台地になっており、その台地の中心が方南町にあたる。 この台地の北東地域で善福寺川に向かって下るのが駒ヶ坂である。 駒ヶ坂の坂下、善福寺川に架かる橋は駒ヶ坂橋、その下流で善福寺川はほぼ同じ水量で神田川に合流する。

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坂道は一直線だが、これは昭和に入って整地されたため。 それ以前は曲がりながら傾斜を下る坂道で、江戸時代からあった古道である。十貫坂から駒ヶ坂を通り、現在の大原辺りで甲州街道に繋がっていた。『東京府村誌』に「駒ヶ坂、雑色村村西にあり、長さ三十間広さ三間」とあるので、54mの長さの坂で道幅が5.5mと昔から広い道だった様子。 雑色村の地名は昭和42年まで字名で残っていたが現在はない。

大田区にも雑色があるが、雑色というのは、平安時代の役所に蔵人所というのがあり、そこで雑役に従事する人々を雑色と呼び、そのいわゆる役人に住まわせた場所が雑色という地名になったケースが多いという。 大宮八幡宮を創建する際に尽力した役人たちが住んでいたというのが中野区の資料にあった。

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坂の周辺は中野区と杉並区の区境が入り組んでいる。 坂下の駒ヶ坂橋を渡ると杉並区。 西にワンブロック行くと杉並区。 神田川と支流が度々流れを変えた地域で、昔から境も頻繁に変化した名残である。 駒ヶ坂の坂名の由来は、杉並区の資料によると、鎌倉攻めの時に軍馬が通ったからという説があるらしい。 坂下の駒ヶ坂橋を渡って進むと立正佼成会の施設が広がるが、ここに本陣山という場所があり、和田義盛が鎌倉攻めの折にここに陣を取ったという記録がある。

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