大聖寺坂(杉並区掘の内)
中野区方南町から西へ続く方南通りは西永福で井の頭通りにぶつかる。 その手前北側に創建1063年の大宮八幡宮がある。源頼義が奥州征伐後、京都の石清水八幡宮の分霊でここに建てた神社と伝えられる。
大宮八幡宮から東へ参道が伸びている。 諸説あるが、東国から京都を守る意味合いの向きという説が個人的には支持したい説。 この東の参道が方南通りにぶつかるところから、北に下るのが大聖寺坂である。
大聖寺坂は大宮小学校前を下っていく。 この大宮小学校の場所に大聖寺があったため、坂名になったと伝えられるが、大宮小学校は明治10年の開校なので、明治初期の廃仏毀釈時代に廃寺になったのだろうかと考えた(実は違っている)。
しかし杉並区の資料を見ると、ここにあった寺は大正寺といい、学校の敷地は善福寺川の方から見ると丘になっていて、大正寺山と呼ばれた。その西側を下る坂ということで大正寺坂だが、この大正寺に祀っていたのが大聖不動明王だったので、大聖寺の方が正しいかもしれないと資料には書かれている。
伝承では大正寺は慶長年間(1596~1614)に妙法寺に移ったと言われるが、定かではない。 そうなると江戸時代の間ここには何があったかということだが、一説には不動明王はこの地に残っていたとも言われる。
さらに別説で、後に(後三年の役時代)八幡太郎義家が戦勝してここを通ったので、大勝利の坂→大勝坂→大聖寺坂となったというのもある。 関東には鎌倉伝説が多くて紛らわしい。
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