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2018年6月13日 (水)

地蔵坂(杉並区和泉)

杉並区和泉、明治大学の和泉キャンパスの裏手には多種多様な歴史が残っている。 崖下を切通しで走る京王井の頭線と水道橋で交差する玉川上水。 玉川上水は蔦に覆われ、側道の脇を通っている。

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そして複線の井の頭線に4線分のトンネルがある。 これは戦前に東京山手急行電鉄という会社が山手線の外側に円周鉄道を計画していた名残りで、大井町から北上、小田急線梅ヶ丘、京王線明大前というルートに対応して、建設時に4線分を作ったが、世界恐慌のあおりを受けて頓挫した。

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鉄道遺構の吉祥寺寄りに向かって地形は大きく下っていて、間もなく井の頭線は神田川を渡る。 この遺構の近くにあるのが地蔵坂である。 井の頭線神田川橋梁と並ぶ道を都心に向かうと、道が二手に分かれ、左が地蔵坂の古道である。

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大正時代以前に永福町界隈から甲州街道への道は七軒町(今の下高井戸)に上る永泉寺坂とこの地蔵坂の二つしかなかった。 坂上は甲州街道の代田橋で、ここにはダイダラボッチ伝説が残る。あの「もののけ姫」に出てきた巨大な鹿神の化身のモチーフである。 そのダイダラボッチが架けたのが代田橋という、あり得ない言い伝えが残っている。

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現在の坂は緩やかにカーブを繰返しながら上っていく。坂上の西側に広い共同墓地がある。 ここには明治初年まで地蔵堂があったが、本尊は現在は井の頭通りの北側の閻魔堂に移されているという。 しかし、墓地入口にはいくつかの地蔵が並んでいる。

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時代的には、江戸前期から江戸末期までの地蔵が集められている。 墓地の入口は階段で、上ると地蔵が並び、その手前に「和泉村 地蔵堂墓地」と彫られた石塔がある。 江戸時代この辺りは和泉村と呼ばれた神田川流域の農村であった。 現在の明治大学和泉キャンパスは戦前は火薬庫で、江戸時代から弾薬の貯蔵庫(塩硝蔵)として使われていた土地である。

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