宿坂(豊島区高田)
宿坂は目白台の坂道の中では最も歴史が深い。 江戸時代は勿論、その前の中世からの道になる。 詳しい説明板が目白不動尊前にあるが、もともとは中世の頃、「宿坂の関」と呼ばれる関所がこの辺りにあった。 江戸時代に描かれた『江戸名所図会』にはすでに関所跡という扱いがなされていたほどである。
坂下西側の金乗院は目白不動。 寺の開山は天正年間というから1573年~1592年の辺り、まだ徳川が江戸に来る前である。 金乗院は最初中野の宝仙寺の末寺だったが、後に護国寺の末寺になっている。 境内にある目白不動尊は江戸時代に入ってから文京区の関口駒井町(目白坂途中)に開山したが、第二次世界大戦で焼失したため金乗院に合祀されたいきさつ。
中世にあった関所に話を戻す。 金乗院の少し上に平らな土地があり、それが関所の跡らしい。 宿坂はかつての鎌倉街道、そこを往来する旅人がこの辺りで留まったので、宿坂と呼ばれた。 別名にはくらやみ坂、砂利場坂があるが、やはり宿坂の名の歴史が古い。
くらやみ坂というのは江戸時代の前半、この辺りは樹木が生い茂り暗い道で、昼なお暗く狐狸の類が人を化かしたという話に由来する。 砂利場坂というのはこの辺りが砂利捨場だったからだという。
中世の鎌倉街道は雑司ヶ谷鬼子母神前から、この宿坂を下り、神田川を姿見橋で渡った。 姿見橋は今の面影橋である。 面影橋に説明板がある。 面影橋は俤(おもかげ)の橋、姿見の橋とも呼ばれ、一説には在原業平が鏡のような水面に姿を映して呼んだとか、徳川家光が鷹狩りの折に名付けたとか、諸説ある。 良い名前である。 個人的には、小室等の『面影橋から』を思い出す。
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