尻割坂とかいて「けつはりざか」と読む。 珍しい坂名である。 由来については、急坂なので力を入れて登降するから、腰の筋肉が張るという意味で呼ばれるようになったらしい。 現在の坂は大した坂ではないが、昔はもっと急だったのだろう。
坂の南側のブロックには和泉熊野神社がある。 一方の北側、垣根の区画はもと当麻家の屋敷だったところで、植込みのなかに近代的で立派な門がある。 向こう隣りは貴船神社である。 どんな屋敷だっただろう。 この辺りの庄屋だったのかもしれない。 坂上あたりは和泉山と呼ばれた丘で、もとは広大な雑木林だった。 家が建つようになったのは戦後である。
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