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2018年7月16日 (月)

不動坂(田端)

JR田端駅にはホーム中程から桟橋を上った南口がある。 とてもマイナーな駅前で山手線の駅前としてはもっとも長閑な印象。 駒込駅東口も鶯谷駅北口もローカル色満載だが、田端駅南口は断トツ。 ローカル線の駅にも似ていてホッとする。 南口は田端の崖線の中腹にあり、そこから崖上に上る階段道が不動坂である。

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不動坂は大きく分けて下側の階段と上側の階段がある。今ではマイナーになってしまった石の階段だが、コンクリートよりも滑りやすいものの歩く感触は遥かにいい。 標高は線路が5m、改札が14m、不動坂の上が23mある。

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最上反対の垂れ幕がある。 写真は2016年のものだが、現在は階段の南側に葬祭会館がオープンしている。 駅近の斎場で周辺にも迷惑は掛からないから良いだろう。 うちの近所にも斎場があるが、アクセスの悪いところに多いように思う。

踊り場から崖下を望むと、新幹線や在来線がひっきりなしに通る。 縄文海進の頃はここは波打ち際だった。 江戸時代の崖線を上下につなぐ道はこの不動坂と、田端駅北口近くの江戸坂辺りにあった。

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坂上に標柱があり、次のように書かれている。

「田端駅東口から南西へ登る坂です。 坂名はかつて田端駅東口付近に石造不動明王立像が安置され、不動の滝があったことによります。 この不動明王像は、明治45年(1912)5月に始まった田端駅拡張工事により現在地付近へ移され、さらに谷田川改修工事にともない, 昭和10年(1935)11月に現在地(田端3-14-1隣接地)へ移され、田端不動尊となっています。」

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もとは田端新町の方に下る長い坂道だったが、大部分がJR線路の貫通で分断されて一部が残ったのが現在の階段坂。 大正時代から昭和の初めにかけて多くの文豪がこの崖上に住んだ。芥川龍之介、室生犀星らが集い、文士村を形成していたのである。

東大時代の芥川が親友への手紙に、『ただ厄介なのは田端の停車場へゆくのに可成急な坂がある事だ。それが柳町の坂位長くって路幅があの半分位しかない。だから雨のふるときは下駄で下りるのは大分難渋だ。そこで雨の降るときには一寸学校が休みたくなる。」と書いている。

写真: 2016/10/1

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