田端八幡男坂・女坂(田端)
田端八幡神社は、田端村の鎮守として信仰された神社で、応神天皇を祭神とする。1189年(文治5年)に源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鎌倉鶴岡八幡宮を勧説してここに創建した。東覚寺は別当。 江戸時代は赤紙仁王はこの参道入口にあり、八幡神社の門が閉ざされて本殿で参拝することができなかったため、仁王尊のところで参拝するのが通例だった。
参道の中程、一の鳥居の手前には石橋が埋められているが、これは昭和初期の改修工事によって暗渠となった谷田川に架かっていたもので、記念保存のためにここに移された。境内には稲荷社の他に富士浅間社と三峰社があり、富士講も行われていた。
直進が男坂、右側の坂が女坂である。 大きな神社には必ずと言っていいほど、この男坂・女坂がある。 田端八幡で面白いのは別当の東覚寺が神社を取り囲むように位置している点である。 廃仏毀釈でいじめられても、民間信仰(赤紙仁王)に支えられて寂びれることなく続いた。
仁王像の患部と同じ場所に赤紙を貼り、治癒すると、草鞋を奉納する。 この草鞋が稲刈りの掛け干しのようにぶら下がっているのはそれだけご利益があるからだろう。 別当というより、八幡と東覚寺は共存共栄している感じがする。
女坂の脇に富士講の富士塚がある。現在でも毎年2月20日に富士講の祭事が行われている。 そして田端八幡が位置する上野台地には高い密度で寺社仏閣が点在する。 氏子を考えても、あまりに密度が高すぎるような気もするが、それだけ人々の季節ごとの催事(祭事)が生活に深く密着してきたのであろう。
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