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2018年7月23日 (月)

八幡坂(田端)

八幡神社の脇の坂道で八幡坂である。 八幡神社の正式名は上田端八幡神社。 江戸時代はこの辺りは田端村で、村内は上田端と下田端という二つの地域に分かれていた。 下田端の鎮守は東覚寺脇の田端八幡神社で現在はそちらの方が有名。

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境内にある末社の白髭神社の由来が鎌倉から室町の伝承を有しているが、八幡神社は江戸期辺りからのようである。 都内にもこういう経営とは無縁の神社が多数あるが、時代と共に寂れてしまう傾向にあるのは残念だ。

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八幡坂は神社脇をほぼまっすぐに上っていく。 神社脇に説明板がある。

坂の名は、坂下にある八幡神社に由来します。八幡神社と大龍寺の境あたりの道を挟んだ反対側にあった紅葉館に小説家の堀辰雄が下宿していたほか、この坂の近くには、小説家の菊池寛、詩人の室生犀星、画家の倉田白洋、彫刻家である吉田三郎や池田勇八が住んでいました。芥川龍之介はその随筆に「踏石に小笹をあしらったのは、詩人室生犀星の家」と書いています。

とある。やはりここも坂の説明にはなっていない。

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北区は文士村を前面に押したいのだろう。しかし文士村は明治末期以降のもので歴史は浅い。神社そのものはもっと深い歴史を持つので、民俗的なものを追及する姿勢も欲しいものである。

江戸時代の八幡坂は神社裏手でいったん北西に折れて再び北東に向かう路地が当時からの道筋。 現在は計画道路にぶった切られているが、台地の街道に接続していた。

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