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2018年7月25日 (水)

モチ坂(北区上中里)

モチ坂は現存しない。 崖っぷちにポツンと標柱が立っている。 かつてのモチ坂の道筋は崖で突然終わっている。 各地に痕跡を残す古い坂道はいくつもあるが、きちんと標柱のあるものはほとんどない。

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崖っぷちには現在道路が通っていて、落下防止の金網の手前に標柱はある。

ここは坂の坂上に位置し、崕雪頽(がけなだれ)という急斜面を蛇行して下る坂道の跡がわずかに残されている場所です。坂は上駒込村から上尾久村方面へと向う上尾久村道の途中に位置していました。鉄道が通るようになると坂下には踏切が造られ,大正時代の末から昭和の初期には跨線橋がつくられるにいたりました。モチの木が坂上にあったといわれ、明治10年代の『東京府誌・村誌』にはモチ坂とありますが,この名称は後にはあまり使われなくなっていったようです。

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モチ坂は漢字では黐坂と書く。 食べるモチは餅だが、こちらはモチノキの黐でありトリモチの黐である。 しかし坂名は尻餅をつくほど急坂だったことでしばしば付けられる坂名なので、なぜ漢字表記が黐坂なのかはわからない。

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現在は20本ほどの線路が走っていて上記地図の北側にも尾久駅があり400m近い幅で数十本の線路が走る。 しかし上記地図(関東大震災前)は3本ほどで、モチ坂はくねって高度を下げ、最後は数mの高さで鉄道と小川(音無川)を越えて、王子街道に出ていた。神田あたりの江戸っ子が飛鳥山へ行楽に行くのに往復していた道で、当時から続く羽二重団子の本店も日暮里にある。

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