上の坂(田端)
上の坂、または上之坂と書いて「かみのさか」と呼ぶ。 坂上には芥川龍之介の旧居跡がある。 とはいえ場所だけで、現在は普通の民家が建っている。 芥川は大正3年から自殺する昭和2年までの13年間ここに住み、「羅生門」「鼻」「河童」などの小説や俳句を執筆した。 芥川旧居跡から不動坂に向かって30mほど進んだところから谷に下るのが上の坂だ。
芥川の旧居は澄江堂といったが、この辺りは空襲で焼け野原になり跡形はない。 上の坂も戦前は階段坂ではなく、昇り降りに難儀するような急坂だったようだ。 反対側の田端駅に行くのも急坂、こちらに下るのも急坂、芥川はいわゆる馬の背に住んでいたわけだ。
「坂名の由来は不詳です。 この坂上の西側に、芥川龍之介邸がありました。 芥川龍之介は大正3年からこの地に住み数々の作品を残しました。 またこの坂の近くに、鋳金家の香取秀真、漆芸家の堆朱楊成、画家の岩田専太郎などが住んでいました。 芥川龍之介は, その住居を和歌に詠んでいます。
わが庭は 枯山吹きの 青枝の
むら立つなべに 時雨ふるなり」
この崖線は脆い地質なのか法面の崩れた部分を何ヶ所か見かけた。 しかし文人というのは坂のある場所が好きなようで、坂歩きをしていると文人の住居跡をよく見掛ける。江戸時代にはこの道はない。 関東大震災前の地図にもない。 しかし杣道の様な道があったのではないかと思う。
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