与楽寺坂(田端)
与楽寺は今でも大きな寺である。 与楽寺坂はその西側の斜面を上る。 坂下に北区設置のバス停風のユニークな説明板がある。
「坂の名は坂下にある与楽寺に由来しています。「東京府村誌」に「与楽寺の北西にあり、南に下る、長さ二十五間広さ一間三尺」と記されています。この坂の近くに、画家の岩田専太郎、漆芸家の堆朱楊成、鋳金家の香取秀真、文学者の芥川龍之介などが住んでいました。芥川龍之介は、書簡のなかに「田端はどこへ行っても黄白い木の葉ばかりだ。夜とほると秋の匂がする」と書いています。」
与楽寺坂もまたくねり方の素晴らしい名坂だと思う。 この道は古く江戸時代からの道筋で、不動坂を経て崖下の田端駅東口側の低地に繋がっていた。 今は民家が並ぶがかつては与楽寺脇を上っていく坂道であった。
与楽寺坂下を西に行く路地に広い庭の赤い屋根の邸宅がある。ここはかつての「天然自笑軒」で料亭だった。芥川龍之介はここで結婚披露宴をやっている。
与楽寺の開山は不明だが、境内には南北朝時代の石塔もあるので1300年代は下らないだろう。 坂の途中に魅惑的な階段坂もあり台地の上に続いているようだ。 与楽寺本尊の地蔵菩薩は、別名「賊除け地蔵」と呼ばれる。
賊除け地蔵の由来は、ある晩押入った盗賊をどこからともなく現れた多数の僧侶が追っ払ったのだが、翌朝地蔵の足に泥が付いていて追っ払ったのは地蔵だとわかり、大変なご利益があると人気になった。 なんだか本当かウソかわからないような逸話だが、それがまた面白い。
写真: 2016/10/1
加筆: 2018/12/7
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