下瀬坂(北区西ヶ原)
ゲーテの小径を南に進むと北区と豊島区の区境の道に出る。 私は染井霊園の間の道からアプローチした。 現在はとてもきれいな坂道に整備されているのが下瀬坂である。 かつての東京外語大学のキャンパスを南から西に回り込むように上っていく。 新しい道に見えるが実は江戸時代からの道筋。
坂下は藍染川の源流。 江戸時代はいくつもの湧水があり、それらを集めて上野に流下していた。またここはソメイヨシノのふるさとでもある。 東京外国語大学は戦前神田、麹町、西ヶ原と移転し、1933年に滝野川区西ヶ原の元海軍爆薬部跡地に落ち着いたが、空襲で全焼。 戦後この地で再興し、2000年には府中に移転した。 跡地は西ヶ原みんなの公園という広々した公園になっている。
この坂名は、明治32年(1899)、ここに設けられた「海軍下瀬火薬製造所」に由来します。戦前に製造所は舞鶴(京都府)へ移転し、跡地は東京外国語大学のキャンパスとなりました。(現在は移転)。このあたりは、江戸時代に幕府の御薬園があり、谷田川の水源となる湧水もありました。
谷田川とは藍染川の別名。
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