幽霊坂(田端)
田端の台地側、道灌山の手前にある坂。 もともと京浜東北線沿いが武蔵野台地の海食崖ライン。 標高は崖下の5mから崖上の23mに18mも駆け上がる。 ところが少し崖から離れると再び標高が低くなる。これは谷田川(藍染川)が削った谷である。 しかし規模が大きい為、おそらくは旧石神井川が谷田川筋を流れていた頃から削られたものと思われる。
坂上にある田端台公園辺りは江戸時代の道灌山の平らな頂上にあたる。 そこからくねりながら与楽寺裏に下っていくのが幽霊坂。くねり方も遠望も優れた名坂だが、江戸時代はこの坂は与楽寺の境内の中だったようだ。明治32年に与楽治の南側の敷地に東京脳病院が出来た。 病院は戦時中の昭和18年に閉鎖されたが、その記録が面白い。 「戦争熾烈となり、院長健康を害し廃院」とある。 現在の精神病院だが、裏のストーリーがあったのではないかと訝る。
道が出来たのは病院の開院の頃ではないかと思われるが、元々人通りのある道でもなく、与楽寺の樹木と南側の樹木に覆われて、さぞ暗い坂だっただろう。 単純に幽霊坂と呼ばれたのも寺の裏手だけに致し方ない。 暗闇坂でもよさそうなものだ。 坂歩きの先人もこの坂には高い評価を与えているが、私も同感である。
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