妙義坂(豊島区駒込)
駒込駅前から本郷通りを霜降橋まで下る道が妙義坂。 この道は古い道で、鎌倉街道~日光御成道~岩槻街道~本郷通りなどいくつもの通り名がある。 坂下の霜降橋は谷田川を渡る橋があったところで、この谷田川も境川、谷田川、谷戸川、藍染川、蛍川などいろいろな名前で呼ばれた。
道幅が広いのであまり坂という印象はないが、坂上は23m、坂下は13mで10mの標高差がある。 この谷田川水系は一説には石神井川の流れだったと言われ、ある時王子の飛鳥山脇で海食崖を崩して当時海岸線だった王寺駅で海に直接注いだという。 現在の石神井川はそのまま堀船で隅田川に注ぐが、地形を見ると頷けるところがある。
さすがに歴史ある道なので史跡には事欠かない。江戸時代から続く妙義坂子育地蔵尊が坂の東側にある。 また坂の西側の裏手には妙義神社がある。 染井の台地が妙義神社のところだけ突端のように突き出しているその高台にある。
あたりの地形を観察すると、現在の本郷通りは盛土をして傾斜を緩やかにしているが、昔はもっと急な坂だったようだ。 一方妙義神社は昔からの台地の縁にあるので、数mの標高差を階段で上ることになる。 神社の説明だと創建は651年、日本武尊によるものらしい。あまりに古すぎる。中世戦国時代になって太田道灌の戦勝祈願の神社として栄え、妙義坂の名前の由来でもある。
「坂の西方駒込3丁目にある妙義神社が坂名の由来であり、「大日本名所図会」に「妙義神社は駒込妙義坂下にあり、道路の西に、『これよりみょうぎみち、やしろまで半丁』と記せし石標を建つ。(中略) 当社の祭神は日本武尊にして、左に高産土神、右に神功皇后、応仁天皇を奉祀す。社伝に『日本武尊東征の際 此地その陣営となりたれば後に一社を建て白鳥社と号す』」と記されている。」
と駒込駅前にある青銅の説明板には書かれていた。
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