ポプラ坂(田端)
明治末期以降の坂。 江戸時代からある石坂と八幡坂の間にある坂で、住宅街の中のなんの変哲もない細路地の坂道だが、田端文士村の中で存在価値を上げている坂道である。
ポプラ坂
(田端文士村)
田端保育園はポプラ倶楽部の跡で、ポプラ坂の名はこれにちなむものです。 ポプラ倶楽部は、明治41年ごろ、洋画家の小杉放庵(未醒)が作ったテニスコートで、田端に住む洋画家の社交場となったものです。 陶芸家の板谷波山、洋画家の山本鼎、彫刻家の吉田三郎、詩人の室生犀星、小説家の菊池寛などが、このすぐ近くに住んでいました。大正2年、田端に越してきた芥川龍之介は、その1か月目に、ポプラ倶楽部のことを手紙に書いています。
坂の下にあったという室生犀星たちの編集場所になっていた「ポプラ坂荘」も今はなく、新しい平凡な住宅地に変わっている。エンジに塗られた歩道も数年前に舗装されたようで、坂道の滑り止めになっているが、かつての痛んだアスファルトの方が坂風情はあったように思う。 坂の高低差は10mほどで、坂下の谷は谷田川の流れによるものである。
写真: 2016/10/1
加筆: 2018/12/7
| 固定リンク
コメント