江戸坂(田端)
田端駅前から田端高台交番への坂道。 台地の上の道と切通しの道を繋ぐ連絡道になっている。現在は生活主要道路の連絡路だが、江戸時代は高台から現在の線路東側の低地へ下る農道だった。 かつては20mもの断崖を下る道だったが、鉄道が敷かれて田端駅が開かれてからは連絡橋の高度までの道になって高低差は半分になった。
坂のイン側にある高層ビル田端アスカタワーの敷地に「田端文士村記念館」がある。 文化人というのは坂の街に住まうのが好きな様子で、本郷辺り、大森駅周辺といずれも急な坂道の多い場所に集まっている。
田端の台地から下谷浅草方面へ出る坂道で、坂名もそれに由来するもののようです。この坂の近くに、詩人の室生犀星、俳人の滝井孝作、画家の池田輝方、池田焦園夫妻、画家の岩田専太郎、詩人の福士幸次郎が住んでいました。坂上の左手に露月亭という茶屋があり、陶芸家である板谷波山が35歳の頃、そこで、飛鳥山焼と銘を入れた徳利と猪口を売ったことがあったということです。
と書かれているが、江戸坂の説明になっていない。
坂名の由来についてはかつて日光御成道からこの尾根筋の道に入ってくると、この辺りの高台から江戸の街が見えたのではないかと思われる。 ここ20年で田端駅周辺は変貌してしまい、文化村の名残りの個人商店もほとんどなくなった。 時代の流れである。
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