銀鈴の坂(目白)
目白駅の改札を出て西に向かうと、ビルの間を下る階段がある。 2004年に通称道路名として名称を設定された銀鈴の坂である。 大正時代以前、目白通りは山手線を橋で越える道と踏切で越える道の二つがあったようだ。 南側が踏切で、北側が橋になっていた。 南側の道は立体交差の側道のように北側を法面にしていた。
銀鈴の坂はその上の道(目白橋)と下の道の高低差を現在でも理解できるカギになっている。 ちなみに目白橋の欄干と親柱の一部が学習院大学の西門の前に残されている。 目白駅そのものは山手線を通すときに、台地を削って切通しにして建設された駅である。 標高15mほどの高田馬場と、標高32mの池袋駅の間に設置するのに、目白を切通しにしないと神田川から台地上の目白までが急傾斜で汽車が登れない。 その削られた切通しに下っていくのがこの坂である。
目白通りは関東大震災以降に大通りとして拡幅され、下の道は消滅した。 気になったのは目白駅のホームからも見える、銀鈴の坂の横の線路内にある古い階段。 この階段がいつ頃までどういう目的で使われていたのかが気になったが、いまだにわかっていない。
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