大炊介坂(北区西ヶ原)
北区の旧古川庭園の前から駒込の霜降橋で下る道が大炊介坂である。 現在は本郷通りの一部として広い道になっている。 古川庭園は武蔵野台地の斜面を利用した和洋折衷の館で、明治時代の陸奥宗光の屋敷だった。 後に宗光の次男が古川家の養子となり、古川家所有になった。 ジョサイア・コンドルの洋館と庭園を一体化したデザインは彼の作った鹿鳴館やニコライ堂、旧岩崎邸と共に名建築とされている。
古川庭園の東側を下る大炊介坂の名前は、この辺りに住んでいたという中世の武将保坂大炊介にちなんだものとされている。 また坂上にある平塚神社に因んで宮坂と呼ばれたり、樹木が生い茂っていたので暗闇坂と呼ばれたりもした。
現在本郷通りとされるこの道は、江戸時代は日光へ続く岩槻街道で、将軍が日光東照宮へ社参する時の道でもあったので、日光御成道とも言われた。 坂下は霜降橋という交差点になっているが、ここには染井から流れる川があった。 この川の下流は藍染川といい、谷根千から上野の不忍池に流下する。現在は暗渠である。
古川庭園の側の歩道に東京都の設置した説明石柱がある。 古川庭園の石垣は布積み(整層積み)と言われるもので、日本古来の積み方ではなく西洋風の積み方である。 もちろんモルタル接着などが施されていて危険はないが、日本古来の積み方の方が(私は)好きである。
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