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2018年8月14日 (火)

真正寺坂(北区赤羽西)

赤羽駅西口と十条を結ぶ都道460号線は江戸時代の岩槻街道(日光御成道)。 赤羽駅南口から500mほど南西に下ったその岩槻街道沿いに交番があり、そこから真正寺坂に入る。 すぐに道路端の庚申塔が目に入る。 通常はお堂があったりするものだが、路肩にポンと無造作に立っている感じがいささか違和感がある。

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この庚申塔は1769年(明和年間)造立で塔の側面に「これよりいたはしみち」と彫られている。さすがに250年の年月が経過しているので、正面の青面金剛立像も台座の三猿も風化が進んでいるが、その年月を感じさせる素晴らしい石塔である。

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100mほど進むと上り坂の傾斜が急になる。 ここから赤羽台地へ上る。 この辺りは江戸時代の稲付村。 真正寺坂は岩槻街道と中山道の本蓮沼を結ぶ村の主要道だった。 坂の北側にある普門院は1307年(徳治年間)の開基の古刹。 坂は古道らしいくねりを見せながら上っていく。

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標柱は坂下の庚申塔の傍にある。

「岩槻街道沿いの赤羽西派出所から西へ登る坂です。坂の北側(赤羽西2-14-6付近)に普門院末の真正寺がありましたが、廃寺となり坂名だけが残りました。坂の登り口南側にある明和6年(1769)11月造立の庚申塔に「これよりいたはしみち」と刻まれていて、日光御成道(岩槻街道)と中山道を結ぶ道筋にあたっていたことがわかります。かつて稲付の人びとは縁起をかついで「しんしょう昇る」といって登ったそうです。」 と書かれている。

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坂上には古い蔵を利用したと思われる消防ポンプ小屋がある。 「稲付自治会災害対策部」と書かれている。  その下の大きなマンション(2014年築)は戦前戦後の地図を見ると工場になっている。 何の工場かはわからないが、この西側にはいくつもの軍施設があったのだが、戦後も残っていたところを見ると軍需工場ではなさそう。 昭和後期に別の施設(どこかの社員寮)になっていたような地図上の記載だが、気になって仕方がなかった。

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