野間坂(北区赤羽西)
日本の出版社の双璧は講談社と小学館と言われた。 講談社は音羽グループの中心、小学館は一ツ橋グループの中心。 現在は出版業界も激変し、縮小傾向にあるが、戦前戦後の講談社のブランドは相当なものだった。 その初代社長が野間清治。 そこから数十年野間家が講談社を支配した。
右側の擁壁とフェンスに挟まれた坂道が野間坂である。 下の道の南側に稲付川が流れていた(現在暗渠)。 右側の擁壁は最近の工事で新しくなった。 壁の上は稲付公園である。 この崖の上は稲付川と別の沢が台地を削った突端になっている。 その向こう側は再び窪地になっていて、そこには鳳生寺がある。
左側のフェンスは崖の高低差があるため、人が落下するのを是が非でも防止しようという意図が伝わってくる。 途中の稲付公園の入口に標柱があったのだが、訪問時は工事で養生されて見えなかった。
標柱には、「この坂道の名前は、大正・昭和前期に活躍した出版事業家で、講談社の創立者でもある野間清治氏(1878-1938)の旧別邸前の坂だったところから由来しています。現在、野間氏の旧別邸跡地は北区立稲付公園となっており、区民の憩いの場として親しまれています。」とある。
北と東と南の眺望を備えた最高の邸宅立地だったはずである。
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