うつり坂(北区赤羽台)
うつり坂、何とも不思議な名前の坂道である。 あちこち調べたが坂名の由来は分からない。 もともとこの道筋は江戸時代から地方幹線のような道で、岩槻街道と中山道を繋ぐ横の道だった。現在の国道122号線の荒川大橋は昔は岩渕の渡しといって、隅田川(荒川)を岩槻街道で越える渡し船があった。それを渡ると岩渕街道は赤羽で王子方面に進路を変えるのだが、そのまままっすぐにいくとこの道でうつり坂を上って志村で中山道に繋がるのである。
「赤羽台東小学校の北にあるこの坂は、旧板橋街道の坂道の一つです。大正8年(1919)に旧陸軍被服本廠(ほんしょう)が赤羽に移転すると、被服本廠通用門への坂となり、関係者以外の通行は出来なくなってしまいましたが、戦後、被服本廠の跡地に赤羽台団地が出来たため、元の坂道となりました。かつて坂の上には道祖神、庚申塔がありましたが、現在は団地内に移され、祀られています。」 とある。
渋谷区青山の「勢揃坂」であの裏道の坂が江戸時代以前は鎌倉道で、岩渕の渡しを渡って北へ行くルートがあったというから、岩槻街道は相当古いが、うつり坂は中山道が整備されてから開けた道だったのではないだろうか。 それでも400年くらいはここにずっと道があるということである。だからいつだれがうつり坂と呼び始めたのかもわからないのだろう。
坂の周辺は赤羽上ノ台遺跡の発掘地である。縄文時代からここには人が住み、弥生時代、奈良時代、平安時代などの遺構が発見されている。 少し北側の赤羽八幡神社あたりまで行くと、旧石器時代の出土品もあるようなので、この辺りは1万年の歴史があるわけだ。
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