八幡坂(北区赤羽台)
八幡坂と書いて「やわたざか」と読む。 はちまんざかではない。確かに坂下近くに赤羽八幡があるが、この坂は八幡(やわた)坂である。 比較的新しく昭和の初期に開かれた坂道である。 大正以前はこの坂の北側に谷がありその崖線沿いに引込線が走っていた。 周辺に多数あった軍施設への物資輸送のためである。
坂はゆるやかなカーブを描きながら標高を上げていく。坂上に北区立八幡小学校があるがこの呼び方は「はちまんしょうがっこう」なのでいささか紛らわしい。 昭和29年の創立で、昭和30年代前半には850人もの児童数があったが、最近は100人前後。 向かいにあった赤羽台中学校は2006年に廃校となり桐ヶ丘中学校と併合した。 現在は東洋大学赤羽台キャンパスになっている。
この東洋大学になった赤羽台中学校の土手に八幡坂の石碑があったが、2016年頃撤去された。この石碑の下のプレートには以下のように書かれていた。
「板橋街道は宝幢院前で岩槻街道(日光御成道)と分かれ中山道に至る道ですが、大正8年旧陸軍被服本厰が赤羽台に移転してきて、道の一部が敷地内に入ったので、一般の通行のため同厰北側に設けられたのがこの坂道です。 八幡坂の名は、この北にある八幡谷に因んだ地元の呼称で、それが定着したものです。」
坂のやや下側にある墓地はこの宝幢院(ほうどういん)墓地らしいが、肝心のお寺がない。 調べてみると京浜東北線の東側にあることが判った。正式名は医王山宝幢院東光寺、珍しく院号で呼ばれる寺院である。
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