弁天池の坂(北区赤羽西)
赤羽駅西口のイトーヨーカドーの裏手、もとは川筋だった弁天通り。 その名の由来でもある亀ヶ池弁財天は静勝寺の弁天を勧請して祀る地元の弁天講による弁財天で、歴史はかなり新しいもの。 昭和の後期、1980年頃のものらしい。
江戸時代は亀ヶ池という大池の周りに湿地帯が広がっていたようだが、その亀ヶ池の北側の湿地帯の名残りがこの弁天の池かと思われる。 弁天の脇から路地はさらに伸びるが、その先の辻で崖線に出くわす。
「亀ヶ池弁財天の西から南に赤羽台団地へ登る坂で、昭和34年(1959)から始まった赤羽台団地の造成にともなってできた新坂です。かつては、亀ヶ池弁財天から東北に登る坂があり、これを池の坂といいましたが、団地造成の時になくなりました。坂名は、この池の坂と亀ヶ池弁財天にちなんでつけられました。亀ヶ池は大正元年(1912)11月にほとんどが埋立てられ、現在はわずかに亀ヶ池弁財天にその名残りをとどめています。」
と北区の説明には書かれている。
坂上は赤羽台団地の台地である。 大正時代から戦前にかけて、軍の被服庫だった頃、この坂上近くまで西側から引込線の鉄道が入り込んでいた。 坂上の遊歩道はその鉄道跡である。 被服庫は昭和中期までそのまま残っていたが、1962年に住宅公団の初期の大団地である赤羽台団地になった。
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