三日月坂(北区赤羽西)
中坂の坂上から北に下る急坂が三日月坂である。 坂上には勾配20%の道路標識がある。 上部は標識通りの急坂になっている。 周辺の地形は興味深い。 北東に延びた突端地形の先は稲付城址。 稲付城は太田道灌が築いた戦国時代の砦の跡。 その首根っこから北側の谷に急落するのが三日月坂である。
坂は少しだけ曲がっている。 この坂の周辺が開発されたのは昭和初期。 坂下の平たい低地は大正時代まで田んぼだった。坂下の窪地にある亀ヶ池弁財天の東側、現在のイトーヨーカドーの裏手は明治の初期まで大きな溜池だったようだ。
「道灌湯から東南に登り中坂へでる坂です。道灌湯のあたりに、大正3年(1914)帝国火工品製造所(導火線工場)ができ、この工場のためにできた坂といいます。工場へ往来する馬車などでにぎわいましたが、大正4年5月に工場は爆発事故で焼失しました。その後このあたりは住宅地となり、坂を登りきった北側あたりに三日月茶屋ができました。坂名はこれに由来しています。また、道灌湯が開業したことから道灌坂とも呼ばれています。」
坂下の道灌湯は現在はない。 2006年に廃業したとある。 もちろん三日月茶屋もない。 しかし赤羽の地形を理解するのに重要な坂道である。 谷の奥には赤羽自然観察公園があり、縄文後期からの沼地や湿地が今に残されている。
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