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2018年9月26日 (水)

小次兵衛久保坂(板橋区成増)

国道254号川越街道にある坂道。 成増小学校入口の交差点を境に、東側が帳元の坂、西側が小次兵衛久保坂である。 つまりここは谷地形になっていて、それを形成したのが白子川支流の百々向川(すずむきがわ)。 さすがに川越街道は道幅もあり交通量も多いので、坂の傾斜は感じにくいが、坂下と坂上では5mほどの高低差がある。

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坂下の成増小学校入口交差点脇に小治兵衛窪庚申尊がある。 久保は窪から転訛したもので、大正期までこの辺りはコジベイ久保という地名だったので、窪を用いたのは江戸時代のことかもしれない。  この小治兵衛窪庚申尊は、天明飢饉の犠牲者を供養するのに建てられたもの。
天明の飢饉は、1782年から異常気象により全国的に不作から飢饉が発生し、翌年は浅間山の噴火で大凶作となった。 餓死者・病死者は全国で90万人を超え、そのため一揆や打ち壊しが発生したものである。
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コジベイ久保という地名にはある昔話が由来になっている。 昔、この辺りは百々向川が流れており、街道と言っても寂しい場所だった。 川には粗末な丸太橋が掛かっていて、周囲は背の高い草と樹木に覆われた場所なので盗賊の格好の犯行場所になっていた。 ところがある時、丸木橋の代わりに立派な橋が架かっていて、村人たちが驚いて近づくと、橋の傍らにこう書かれていた。 「ここで悪いことを数えきれないほどした。それを悔いて、罪滅ぼしに橋を架けた。 小治兵衛」
坂名は小次兵衛久保坂だが、物語の人物は小治兵衛と一文字違うのは調べてみたがよくわからない。
Photo: 2016/11/5

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