弥陀堂の坂(板橋区西台)
ツルマイ池の沢の北側の峰を越えると、再び谷地形が現れる。 番場稲荷の坂を上った北側の斜面を越えた北向きの斜面に坂はいくつもあるが名のある坂はなぜかない。ほとんどの道が高度成長期以降に開かれた住宅用の坂だからである。
その谷を越えると再び尾根に向かって上る。 その斜面にある円福寺の門前には六地蔵が赤い被り物をして並んでいる。ここから西へ向かって下る道が弥陀堂の坂。 坂名の由来は、この円福寺法蔵庵のことを地元では弥陀堂と呼んでいたのでそれがそのまま坂の名になった。
坂は西へだらだらと下っていく。沢筋の谷脇を前谷津川に向かって流れ下る筋と並行して下っていく道である。 この谷筋では戦前はこの道しかなかった。この坂沿いには江戸時代から民家が多く、徳丸田圃で農業をしている家々が立ち並んでいたのだろう。
坂下近くには京徳観音堂がある。左側の石組みの階段は江戸時代からあるものらしく、荒々しい鑿の跡が美しい。 江戸時代にはここに京徳寺があり、観音堂があった。のちにここは前述の円福寺の管理となり、現在に至っている。 境内には1361年(宝文年間)の宝塔があり、ここで人々がずっと生活を営んできたことがわかる。 明治期は西台村の京徳という字名の地域だった。西台村の西の外れである。
Photo:2017/1/29
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