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2018年9月 9日 (日)

清水坂(隠岐殿坂・地蔵坂)

板橋区の坂には説明板や標柱はほとんどない。 坂名だけというのは稀にあるが、説明板があるのはここだけである。 平次坂の坂下と、清水坂の坂下は出合っているが、江戸時代はこの坂下では合流していなかったようだ。 もっともこちらは天下の中山道で、坂下の道沿いには商家や民家が立ち並んでいた。 平次坂は農道で、中山道の西側には田んぼが広がっていたので、台地の上からそこに行くのに中山道に出る必要性はなかったのだろう。

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坂下と坂上に立派な御影石の「清水坂」と彫られた石碑が鎮座している。 坂下方向が戸田、坂上が板橋とある。その脇には高札場の札の様な説明板がある。 板橋区唯一かもしれない、ちゃんと説明板には板橋区教育委員会とあるので、ぜひ他の坂についても設置していただけると嬉しい。

清水坂の名前はここに清水が湧いていたことに由来する。徳川吉宗が鷹狩りに来た折に、坂下の大善寺に立寄り、湧出る清水を見て感動して、寺の本尊薬師如来を清水薬師と唱えるよう指示したことから、清水坂と呼ばれるようになった。

地蔵坂は周辺にたくさんの地蔵があったからだろうと思う。 すぐ上の地蔵堂にも多くの地蔵がある。 そしてそのまた昔は隠岐殿坂、これは志村城城主の千葉氏が千葉隠岐守と呼ばれていたことに由来するが、さすがに500年も前の話である。江戸時代になって1740年代、大善寺(現在は国道沿いの総泉寺に併合)の和尚たちが旅人の難儀を思い、石畳を敷いて階段道にしたという。

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「日本橋を旅立ち旧中山道で最初の難所。隠岐殿坂、地蔵坂、清水坂と、時代共にその呼び名を変えました。 この坂は急で、途中大きく曲がっていて、街道で唯一富士を右手に一望できる名所であったと言われています。坂の下には板橋・蕨両宿をつなぐ合の宿があり、そこには志村名主屋敷や立場茶屋などがあって、休憩や戸田の渡しが増水で利用できない時に控えの場所として利用されていました。この辺りは昭和30年頃までは旧街道の面影を残していましたが、地下鉄三田線の開通など、都会化の波によってその姿を変えました。」とある。

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かつての中山道も今は国道17号線の志村坂にほとんどの交通を奪われて、静かな風情を感じる坂道になっているように思われる。 坂上にある1857年建立の庚申塔脇にも説明板がある。この坂上で中山道と、富士街道(大山道)が分岐していた。左へ進むと城山坂を下り、南坂を上っていくのが昔の道。 現在はかなり形を変えている。 中山道の清水坂(隠岐殿坂)の途中にも馬頭観音や石地蔵がいくつかあり、いかにも名所だったようだが、現在はその面影はない。

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