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2018年9月 5日 (水)

南坂(板橋区中台)

志村城址の台地を下ると目の前に空を覆う首都高速5号池袋線が視界に広がる。 この首都高の下をかつては出井川がいくつかの沢を集めて流れていた。 首都高をくぐった南側に三角形の小さな公園がある(志村第二公園)。 この公園の片隅に古い庚申塔が3基建っている。

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古いものから製作年は1770年、1830年、1869年と江戸時代の後期から明治初頭にかけてのものである。江戸時代はこの辺りを流れていた出井川より南西側は中台村と呼ばれていた。 その中台村の向台講中という人々が建てた庚申塔と伝えられる。 この庚申塔の辺りには出井川が流れていて、それを渡る石橋が出来た記念の碑がそのうちのひとつ。 そして公園の南側にはいかにも古道らしいまっすぐでない道が南方向に続いている。

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志村から南の中台へは昔はこの道しかなかった。 その道を進むとやがて急な上り坂になる。 南坂である。 坂名の由来は不明といわれるが、出井川の南側にある坂、もしくは志村城の南側にある坂という意味で違いないだろう。板橋区の資料によると、出井川には摺張橋という橋が架かっていて、その橋から南坂を上り、やがて練馬の富士街道に出たという。 江戸時代は富士講の人々や大山詣での人々がこの道を通ったという。

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坂の途中には見事な石垣がある。 志村城址の志村小学校の石垣にも負けないくらいの素晴らしい石垣に見とれていると、道の反対側がかなりの崖になっているのに気づく。 坂上で北を振り返ると、志村城址の辺りに巨大なマンションが見える。 ずっと昔は志村城があの丘に建っていたことをイメージしてみる。坂上にある小さな公園には中台南坂緑地とあり、この公園が南坂の名を残してくれている。

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