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2018年9月22日 (土)

谷津坂(板橋区西台)

首都高5号線下の西台交差点から南に向かって伸びるバス通りは新道の坂で谷筋を上り詰め、そこからはほぼ尾根筋を南下するのだが、その台地の西を前谷津川とその支流が削り、東を蓮根川とその支流が削って谷戸を形成している。 この尾根から東の蓮根川に向かって下るのが谷津坂である。

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バス通りとの接続は並行して合流するような珍しい接道。 この接道は明治初期の地図からこうなっているので、尾根筋の主要道との高低差が大きい為、若干無理をして繋げたのではないかと思われる。

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写真の民家の石垣に沿うように、谷津坂は東に折れ高度を下げていく。 ちなみに関東ではこういう沢が削った小さな谷あいの地形を谷津、谷戸、谷地という風に呼ぶことが多い。「谷津」という呼び名は関東、とりわけ鎌倉や下総に多く、「谷戸」というのは武蔵国、相模国に多い。また「谷地」は東北や北海道に多いが、三つともアイヌ語源だというのが定説。
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坂の途中の北側に西台不動尊がある。 斜面に石仏や石碑がたくさん並んでいて風情のある小さな不動尊。伝承によると、ここの不動明王は、太田道灌の守り本尊で、志村城落城後この地に移されたという。 明治初期の地図には延福寺と書かれているが、西側にある円福寺の別院だった可能性が高い。 この不動尊下、谷津坂が走る谷あいを不動谷と呼んでいた。 この不動尊に因んだものである。

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谷津坂は下っていきやがて西台公園に至る。 この公園は不動谷の何面に作られた自然満載の公園で、かつては賑やかな子供の声が響いていたのだろう。 最近はどうも子供も減って、超ロングスライダーも貸し切り状態になっていた。 この公園は割と自然のまま作られているので、関東ローム層の赤土があちこちに露出していて面白い。

この下流の蓮根川だが、蓮根の地名の由来はレンコン産地かと思われがちだが、元からあった上蓮沼と根葉という集落が明治時代に合併して蓮根となったようだ。蓮根川は志村を流れる出井川と接近するも合流することなく新河岸川(隅田川)に流下していた。

Photo:2017/1/29

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