赤羽坂(北区赤羽台)
現在では師団坂の坂下から西に入る住宅の路地の様な目立たない道になっているが、もとは赤羽で岩槻街道と分岐した浦和道がこの赤羽坂を経て、袋諏訪神社を通り岩渕に抜けるという道筋だった。赤羽の変遷とともに、いつしか住宅地の路地のように寂れてしまったのである。
勾配はほとんどないと言ってもいいくらいで、赤羽坂というよりも赤羽坂の痕跡というべきかもしれない。赤羽の地名の由来のひとつは、荒川の流れに削られた赤土の丘陵地(今の赤羽台)を赤埴(あかはに)と呼んでいた。 それが赤羽根に転じた後、現在の赤羽になったという。
傾斜がないが、南側に分かれる道路は下り坂になっている。元はどんな傾斜だったり、カーブだったりしたのだろうとイメージを思い浮かべようとするがなかなかうまくいかない。痕跡としては、昭和中期までこの道よりも南側が赤羽町で北側が袋町、つまり町の境界線がこの赤羽坂だったというのがある。 なかなか評価の難しい坂道である。
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