新坂(板橋区徳丸)
板橋区徳丸は坂道の宝庫である。 あまりに坂が多すぎて、名前のある坂が少ない。 坂が当たり前で平地が少ない地域では、坂に名前を付ける方が不自然なのである。
東武東上線の東武練馬駅の北側にイオンショッピングセンターがある。 もとはサティとして出来たのだが、マイカルサティが倒産しイオンに吸収された。 スーパーの先駆けダイエーも消え去りイオンに吸収された。 しかしそのイオンとて万全とは言えないのが、現代経済の不条理。 三越の倒産は江戸時代からだから400年以上も繁栄したわけで、それはそれで大したものだと思う。21世紀はすべてを破壊する世紀になりはしないかと還暦を過ぎた私などは思うわけで、短期に稼ごうとする現代経済という怪獣に、街は常に破壊されている気がする。 しかし土地が持つ形は変えられない。 だから徳丸は1,000年経っても坂だらけの土地なのである。
新坂に向かう前にいくつかの階段坂を楽しむ。 上の写真は徳丸一丁目公園脇の階段。 なかなかいい景色をしている。 こんな階段坂がこの公園の周辺だけでも二桁はある。 そんな徳丸の地形を作ったのは前谷津川の支流。 谷の底を南北に走るバス通りには「徳丸坂下」というバス停があるが、なぜか徳丸坂という坂はない。 しかし徳丸の坂となると数知れず、そういう解釈をすればここは徳丸坂下である。
さて、新坂だが、これだけ多くの坂がある地域にしてはそっけない名前である。この北東にこれまた「急坂」というそっけない名前の坂があるが、それよりも後に開かれた坂なので新坂と名付けたという。 道のくねり方からして古道であり、昔は徳丸本村や徳丸台地の裾を回り、徳丸田圃に出る重要な道だったらしい。
現在の高島平や西台辺りの広大な平地は「徳丸田圃」「赤塚田圃」と呼ばれる地平線まで続くような米作地だった。 川越街道の周辺の人々はこの坂道を通って徳丸田圃に通ったという。 前谷津川は板橋区のこの辺りの坂道を読むにはカギになる川で、この川の流域の低地も田んぼだった。 そんなのどかな農村であった徳丸村や西台村も、今ではあらゆる斜面に家の立ち並ぶどこまでも続く住宅地になってしまった感がある。
Photo:2017/1/29
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