« 赤羽坂(北区赤羽台) | トップページ | 城山の坂(板橋区志村) »

2018年9月 3日 (月)

志村城址坂(板橋区志村)

都営三田線の志村三丁目駅を出て南に進むとすぐに緑地帯の崖線に出合う。 赤羽の北側からまっすぐに続く台地の崖線がこの志村三丁目までくると西の端として終わりを告げる。志村と前野の間にある低地はいくつもの沢を集めて新河岸川(隅田川)に注いだ小河川(出井川)の名残りである。

Dscn6645
坂の崖側は公園になっているが、山側は志村熊野神社の境内である。 緩やかにカーブしながらかなりの勾配で上っていく。昭和中期まではこの辺りにはたくさんの町工場があった。現在は坂上に日本電産コパル本社があるだけだが、神社の反対側はコパルの第一工場、本社の場所は第二工場だった。

Dscn6651
熊野神社の西にあるヴィオスガーデンという大きなマンションがコパル工場跡だが、その裏手の志村小学校も合わせた台地の岬になっている地形全体が、かつての志村城の跡である。

志村城は1456年に千葉氏が赤塚城に入城した際、赤塚城の前衛拠点として築城された戦国時代の城跡である。

Dscn6662
熊野神社の境内にこじんまりと城跡の石碑がある。本丸は隣の志村小学校辺りだったようだ。 1524年に小田原の北条氏に攻め込まれて落城した。

熊野神社はそのさらに昔にあった古墳上に創建された神社で1042年に志村氏が紀州から勧請したとされている。 その志村城山遺跡は旧石器時代、縄文時代、弥生時代とほぼ全時代の遺跡が発掘されており、何千年ものあいだここで人間が最適地として生活してきたことがわかる。

| |

« 赤羽坂(北区赤羽台) | トップページ | 城山の坂(板橋区志村) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 赤羽坂(北区赤羽台) | トップページ | 城山の坂(板橋区志村) »