伝兵衛坂(板橋区西台)
とりげつ坂、新道の坂がある谷筋の東側、現在の住所は西台1丁目、昔はこの辺りを西台村の中でも門前と呼んでいた。 周辺は住宅開発が進み、とりげつ坂周辺のような古い町並みは残っていないが、この伝兵衛坂は江戸時代からある道で、台地と低地を結ぶ農道のような道だったと考えられる。
伝兵衛坂の東側には志村学園高校(旧志村高校)があり、擁壁も近年きれいに整備されなおしたためまるでごく最近できたような道路の印象を受ける。 志村学園は2011年に手足にハンディキャップを背負った生徒のための支援学校として再スタートした学校である。 都内には意外と少ないようで、拙宅の近くの梅が丘に光明学園という同様の学校があるが、その校区は世田谷区のみならず、港区、目黒区、渋谷区、中野区、杉並区という人口260万人のエリアを1校がカバーしている。通学も大変だろうから1区1校くらいでもいいように思うのだが。
もちろん昔の伝兵衛坂は狭い未舗装の農道だったはずで、区の資料によると、伝兵衛が誰かも分からないし、いつごろからある道なのかもわからない。 ただ、地元の古老によると、崖に足掛かりを付けて昇り降りするような急坂だったという。 まあ、それは大げさだが、西台の台地は関東ローム層の上部の赤土が表面にのった地質なので、雨でぬかるんだりすると滑って上れなかったのだろう。
Photo:2017/1/29
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