師団坂(北区赤羽台)
風景に似合わない師団坂という坂名。 戦前の赤羽は陸軍の街であった。 赤羽、十条の辺りには兵器庫や火薬庫、火薬製造所、銃砲製造所、被服庫、そして最も北の赤羽八幡の近くには、近衛工兵大隊や第一師団の工兵隊などが集結し、当然空襲が始まってからは周辺住民はどれほどの恐怖を感じたことだろう。 しかし現在の師団坂は明るい笑い声が似合う通学路の坂道となっている。
坂は赤羽駅から星美学園に向かって不規則なカーブを見せながら上っていく。坂の途中に標柱があり、次のように書かれている。
「この坂は、旧陸軍の近衛師団と第一師団に所属した2つの工兵大隊に向かう坂道でした。明治20年(1887)8月から9月にかけてこれらの工兵大隊が現在の丸の内一丁目から赤羽台4丁目内に移ってきたので、坂はつくられました。この坂は「工兵坂」とも呼ばれ、休日などの際は軍人や面会者の往来で賑わいました。当時の工兵隊の兵営は、「赤羽の兵隊屋敷」と呼ばれ、工兵隊による浮間橋の架橋や花見時の兵営開放などにより、付近の住民にも親しまれていました。現在、兵営の間にあった練兵場は住宅地となり、第一師団工兵大隊兵営跡は学校法人星美学園の敷地となっています。」
工兵隊は明治の初期まで現在の東京国際フォーラムのある日比谷から越してきた。 日比谷の跡地は東京市庁(現在でいう東京都庁)になり、新宿の都庁舎が出来た1991年に移転するまで東京都庁であった。 東京の大きな変遷(スクラップ・アンド・ビルド)はあちこちで見られるが、ここも時代の節目に大きな変貌を遂げたエリアである。坂の北東側に擁壁が続くのは、ここに新幹線のトンネルを通した(1985年)からであり、それ以前の様子を見てみたかったがいまだかなわない。
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