海老山の坂(板橋区弥生町)
海老山の坂といってもどこからどこまでが坂なのかわからない程度の微妙な勾配。しかも大部分が直線なので、歩いていて坂を認識することはまずないだろう。 しかし、下頭橋から坂上の日大病院入口までは10mもの高低差がある。この海老山の坂はかつての川越街道上板橋宿である。
下頭橋付近はカーブしているので勾配を感じることが出来るが、直線になると疑問符が出る。 しかしこの直線部分が海老山の坂なのである。坂の真ん中あたりに豊敬稲荷がある。旧街道の宿場町にある稲荷なので古いと思いきや、江戸末期から明治あたりに出来たらしい。
豊敬稲荷は常盤台の天祖神社の末社で、由緒説明も天祖神社の宮司によるものとなっている。つまり、江戸時代の川越街道にはなかった神社ということになる。 しかしこの辺りには宿場の商家が立ち並び栄えていた。街道の宿場だけではなく、練馬・板橋の農産物を江戸市中に運ぶための拠点にもなっていたのだろう。将軍綱吉が尾張から持ってきた種を使い名産となった練馬大根もここを通って運ばれたはずである。
海老山の坂という坂名は、この辺りの山を海老山と呼び、飢饉に備えた稗蔵(ひえぐら)があったが、ヒエが訛ってエビとなったという説がある。 果たしてヒエがどうしたらエビになるのかはわからない。 稗蔵は江戸時代に多く作られた木造の蔵で、最近はほとんど見かけなくなった。
photo : 2018/4/8
| 固定リンク | 0
コメント