梶谷津の坂(板橋区赤塚・徳丸)
下って上る坂。 現在では新大宮バイパスに分断されてしまったが、昔は前谷津川支流の谷を下って向こう側に上る薬研型の坂道だった。 徳丸側からアプローチすると、長い下り坂が徳丸四丁目の交差点に向かって続いている。この道は「浦和道」と呼ばれた幹線の古道。 現在の高島平から水車公園近くを通り、この梶谷津の坂を抜けて現在の東武練馬駅に抜けていた。
その道を東武練馬から西に進む。まっすぐにしたいのだが古道が曲がっていたのでそれに合わせた道になってしまったという感じがする。 しかし東側の坂は道幅もあって普通の坂という雰囲気。 バイパスのこちら側は徳丸になる。
坂を下りきると盛土された新大宮バイパスの数少ない信号交差点の徳丸四丁目。 本来の道筋はトンネルになっている方。 昔はここで川を渡っていた。 今も暗渠道が残っているので、多くの暗渠マニアが探索をしている事だろう。川が消えたのは昭和の高度成長期のこと。 どこもほぼこの時期に暗渠化されている。
バイパスを横切って赤塚に入ると、昔の道の風景になる。 農地も残っていてかつての雰囲気を残している。この辺りは前谷津川がいくつかの沢に分岐していて、そのうちのひとつが梶谷津川と呼ばれていたようだ。 梶谷津川の源頭は現在の下赤塚駅東側、大正期あたりまでそこは梶山と呼ばれ、そこから流れる沢の刻んだ谷を梶谷津と呼んだ。
また梶谷津の東の谷は馬喰谷戸といわれ、かなり急峻な沢だったようだ。 梶谷津の坂の西側はその馬喰谷戸の真反対を上っていく。 坂上にの集落に増福寺がある。 寛永8年(1631)に開かれた曹洞宗の寺院で、区内最大の208㎝の板碑がある。
梶谷津坂の坂上には庚申塔が3基並んでいる。かなり風化が進んでいる。 右から宝永7年(1710)の三猿の庚申塔、真ん中は舟形の石塔で貞享5年(1688)、左の小さいものが元禄16年(1703)の傘付き庚申塔。 こういうものを大切に守っている地域は良い地域だと思う。
photo : 2016/11/12
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