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2018年10月10日 (水)

すて場坂(板橋区小茂根)

えんが堀は昭和中期まで流域の灌漑用水として重要な役割を果たしてきたが、宅地化が進むと家庭排水による水質悪化が急速に進み、さらに石神井川が増水するたびに、流れが逆流して氾濫を繰返したため、1969年~1972年に暗渠化が行われた。 大谷道(現在の大谷通り)は西光寺から地蔵坂を下り、えんが堀を越えて小茂根に続く道で、地蔵坂に相対する坂がすて場坂である。

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整肢療護園(心身障害児総合医療センター)前を上っていく比較的長い坂。 この坂下に昔、牛馬の捨場があったので付いた名前らしいが、江戸時代にそのような場所があったということにいささか驚いた。調べてみると、天武天皇の御代(7世紀後半)に牛馬犬猿鶏の肉を喰うのを禁じられ、明治になるまで日本人は牛馬を食べることはなかった。そのため厄介なことではあるが、労役を終えた牛馬はどこかへ捨てられていたわけである。

勿論時代の統治者から認められたものが牛馬の処理権を持っていたようだが、実際の作業という視点からするとそこに士農工商以下の民の存在が現れる。なかなか奥の深いテーマである。

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坂上近くに整肢療護園の門がある。1942年に身体の不自由な子供の施設として開かれたが空襲で焼失。 しかしながら戦後関係者の苦労で再建されて現在に至る。 四肢のみならず、心身障害に関しても貢献の大きい病院らしい。

坂上一帯は根ノ上遺跡、縄文時代から平安にかけての住居跡が出ている。えんが堀が石神井川に合流する肥沃な土地の傍にある台地の上である。 概ねこういう場所には何千年も前から人間が住んでいる。辺りは昭和40年(1965)まで根ノ上町という地名だった。辺りには、小山町、茂呂町という字名があり、これらを合わせて小茂根となった。

Photo : 2018/4/8

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