しったり坂(板橋区大門)
武蔵野台地と荒川低地の境目の崖線沿いに都立赤塚公園が東西に延びて崖線の自然が守られている。東側から、辻山地区、徳丸ヶ丘緑地地区、番場地区、沖山地区、大門地区、城址地区とあり、東西1.7㎞程に広がっている。 この中でも大門地区が最も自然環境がよさそうである。崖線に数カ所の湧水があるが、大門地区のしったり坂周辺には2ヶ所が確認されている。
崖線上からはいきなりの急階段。 公園内の散策路だが、昔のしったり坂はこの筋だったと思われる。崖線下にはニリンソウの群落が4月頃に一面に広がる。 当然水があるので縄文時代からここには人間が住着いていた。 そういう場所である。
しったりざかはほぼ階段で20mの高低差を稼ぐ。 昔の地図は普通の道路線で描かれているが、ここはおそらく階段だっただろうと思われる。僅か50mほどで20mもの高低差である。よく見る勾配標識の%に換算すると、40%(22度)の坂ということになる。 それはとてつもない坂である。しかも関東ローム層の赤土であったのは間違いないだろう。
下ってみても坂下に着くとホッとするくらいの坂であった。 昔、大門の人々は徳丸田圃(高島平)へ通うために諏訪神社の西裏手の崖から下るしったり坂を使っていたという記録がある。語源については、農耕具や収穫物をもって上るときに後ろから尻を押す姿から「尻垂れ坂」になり転化してしったり坂になったという説、坂の途中から清水が湧き垂れるので「しったり坂」と呼ばれたという説、湿気がひどいので「湿ったり」が訛ってという説など諸説ある。
江戸市内であれば、胸突坂とか炭団坂とか転坂などと呼ばれたに違いないが、ここはのどかな農村地帯であったので、板橋の方言でしったりというのがあった可能性もあるのではないかと想像するのも面白い。
photo : 2016/11/6
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