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2018年10月15日 (月)

長命寺坂(板橋区常盤台)

環七通りと川越街道(国道254号線)の交差する板橋中央陸橋の東側に残る旧川越街道の坂道が長命寺坂である。 ただし長命寺は環七立体交差の反対側にある。 旧川越街道は上板橋宿を過ぎ下頭橋を渡ると長命寺の前で二手に分かれ、右が川越街道、左は氷川神社から安養院を経て茂呂へ向かう道。 現地では大通りを視界から消してイメージすると昔の様子が浮かんでくる。

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昔の川越街道は幅3間というから、およそ5.5mあった。ほぼ当時のままの道幅のようである。下頭橋の標高が22m、長命寺の前が28mだからそれほど急な坂ではない。 板橋区の資料によると、旧川越街道が下頭橋を渡し東山町にある長命寺に向う坂。東山にはかつて板橋城があったという説があるが確証はない、とある。

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板橋城は豊島一族の板橋氏の居城で、室町時代に長命寺と隣の上板橋小学校の一部にかけてあったと言われる。長命寺が江戸時代の初めの開山で、それよりもはるかに昔の話なので諸説ある。ただ、地形はこのあたりだけが一段と高くなっているので、居城であった可能性は十分ありそうだ。

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一方の坂下にかけては、下頭橋通り(旧川越街道)という道路標識も出ていて、江戸時代の賑わいを感じさせる。 橋のたもとには下頭橋六蔵尊があり、下頭橋のことが掛かれた説明板が立っている。 橋の名前の諸説には、旅僧が地面に突き刺した榎の杖が、やがて芽吹いて大木になった逆榎がここにあったという説。 二つ目は川越街道を利用する川越城主が江戸に出府の折、江戸屋敷の家臣がここまで迎えに来て頭を下げたからだという説。三つ目は、橋のたもとで旅人から喜捨(寺社や貧乏人に施しものをすること)を受けていた六蔵の金を元に石橋が架けられたからという説である。

三番目の説の六蔵というのは乞食の名前で、『まんが日本昔ばなし』にも取り上げられた「けちんぼ六さん」という話で面白い。

photo : 2018/4/8

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