おなかや坂(板橋区成増)
青蓮寺の門前から東へ下る坂道がおなかや坂である。 小井戸川と徳丸久保の間の台地上に青蓮寺がある。 坂下の三園通りが徳丸久保の川筋があった谷地形になっており、三園通り沿いは小井戸川程度の溝のような沢が流れていたと思われる。
坂下から見上げると青蓮寺の擁壁が迫る。 坂下と坂上では10mほどの高低差がある。おなかや坂の坂名の由来は、写真の辺りに屋号を「おなかや」と呼ぶ田中家があったことが由来だという。
坂上の青蓮寺は真言宗の寺院。本尊は平安時代の薬師如来坐像、開山は不詳。 江戸時代初期は徳丸ヶ原の弁天塚(現在の新高島平駅そば)にあったが水害でここに移転したと伝えられる。 移転は江戸時代中期。
青蓮寺の先代住職の藤崎光淳氏は戦前から昭和の成増周辺の写真を撮り続けてこられた。 写真は2005年に板橋区に寄贈され、公開される機会もあるようだが、ぜひ拝見する機会を得たいものである。この写真資料は2009年に区の登録文化財となっている。
Photo: 2016/11/5
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